The one thing you can’t buy.
いまは”味”が売っています。
最初から色を抜いたデニム。傷をつけたレザー。古びせた金具。新品なのに使い込んだ顔。お金を出せば”いい感じの経年”を棚から買えてしまう。
でも、あれは違う。
本物の味は狙って作れません。
私のものに付いた傷はたいてい事故です。コンクリートにぶつけた。階段で擦った。落とした。どれも選んでいない。その瞬間は、少し、へこむ。
おもしろいのは、その選ばなかった傷こそがあとで愛着に変わること。
しかも「ここで味になった」という瞬間はない。いつのまにか、です。時間が勝手にそうしてくれる。——逆に言えば、意図して付けた傷はこうはならない。狙った時点で、それはもう、味ではなくなる。
だから「育てる」は、技術ではありません。
特別なことは何もしていない。ただ、気にせず使い続けただけ。ものに強い執着がないだけ。新品のような輝きは新品のころだけでいい、と思っているだけ。
真鍮は、それを正直に映します。
くすみ、手の脂がのり、表情が変わる。気づけば「自分だけのブレスレット」になっている。同じ年月を、同じ手首で過ごしたものは、世界に一つしかない。誰にも同じものは作れない。唯一無二とは、たぶん、そういうことです。
無骨で男くさいものが、いつまでも新品のまま——それは、少し違う。
鉄の錆を思い出します。機能を保つために磨くのは分かる。けれど、役目を終えた道具の錆は、もう道具ではなく、アートに見える。あれも誰にも買えない。時間にしか作れない。
「共に歳をとる」。“一心同体”は言い過ぎだけれど、この言葉はしっくりきます。
その感覚はふとした時に来る。くたびれてきたな、と気づいた時。いつもと違う場面で使った時。完璧な時ではなく、少しへたった時に、ああ、一緒に歳をとってきたな、と思う。
きれいなものが好きな人。シャープなものが好きな人。——その人には向かないかもしれません。
だから、いちばんいい状態は店には売っていません。
それは、これからあなたと時間だけが作るものです。

